Jul.1.2010

–in 2013–この投稿はタイトルの日(日本時間では2日です)に書いたものですが、このサーバーのphpが山ほどハックされたときに消えておりました。原文をiPhoneappから見つけたので再びポストします。思えばこの日からかなり変わったものだ私も。ここに書かれた人のおかげだと思っております。生前連絡を取ったことはありませんでしたが。—

 

 

この地図はMissing Persons Caseではないactivity(周囲の方を守るためそのことについては直接書きません。関わっていらっしゃる方は日付と地図でお判りいただけるかと思います)についてのものでしたが、 Tough Love,Special Educationという名を借りたChild abuse組織(日本で言えば戸塚ヨットスクールのような)がなければ、一人の若者の命がこの日に絶たれることはなかったのかもしれません。 ある28歳だった青年について、その運命が大きな問題(思っていたよりはるか大きな)とかかわりがあったらしいと今知ったので、個人的ショックも覚めやらぬままの乱文で、曖昧にするべきところも多いのですが書かせてください。 「彼」は15歳でメキシコにあるその施設のひとつ(閉鎖)に送られ、18歳でSan Diegoに50ドルと一週間のYMCA滞在権だけを与えられ放り出されました。日本のケースでもそうでしたが、両親がその場所の本当の姿を知っていたわけではないようです。彼は何も身分を証明するもの(ソーシャルセキュリティカードも出生証明書も)を持たされず、アメリカでの18歳は成人、(Missingケースで家出と扱われるのは17歳以下、18歳になれば、逆に言えば探されることは少ないです)しかし家から遠く離れて身分証明なし、「合法な」職につくことはできず、ストリートで暮らし、その上強盗にあって麻薬を売る生活に入り、自分でも乱用を始め、、その生活は1年続いただけでした。 そこで何が起こったか(起こらなかったか)細かく書くのは今の私の手には余ります、、 彼の最初の問題はADDであったようです。実は私自身が成人ADHDと診断されているのですが、躁鬱病との誤診(自分もそうでしたが、自分の場合は大人になってからです)が混乱を生みました。ADD/ADHDそれ自体はまったく危険な人間を作るものではありません。ADD/ADHDが未知のものであれば、その一例の私がここに書いてきたことを(ここで足りなければtopからごく普通のミーハーblogでも)ご覧ください。(追記:躁鬱病もそれ自体が他人に対して危険なのではなくて、一番影響があったのはこの場合「誤診」かと思います。) 自分は暢気な大学生として80年代に一ヶ月をSan Diegoですごしています。保護された日本の語学学校生として、夜一人で外に出ることなどはなく。ごく普通の日本の学校で22歳までを過ごしましたが、もし「特殊」と判断されていたら? 「彼」が残した文章はシャープな知性を感じさせるものばかりでした。周囲の選択、というより選べる選択肢が違っただけだったのかもしれなかったのです。 両親は扱いにくい子供であった「彼」を、病院に預け、そして信じて施設に預け、同じように多くの親や家族が施設や寄宿学校に子供を預け、100人以上(今リストの名前を数えました、、)の子供の死亡が確認されています。そのうちいくつが同じ組織とかかわりがあるのかは、現在進行で調査中であり、多くの裁判が進行中ですので、アメリカ国外のものとしては見つけた資料へのリンクは控えます。 (私が深く触れるには「彼」についても、組織全体についてもデリケートすぎるので控えさせてください、、) 28歳まで生き延びたとはいえ(28年2ヶ月21日。「生き延びた」とも言えない年齢ですが、、)8年間はこの地図にある場所ですごした「彼」と、そこまで生きることもなく命を失った100人以上の子供たち。こんな背景があったと知ったのはたった今です。 あいまいな書き方で申し訳ありません。まだ施設は多く存在し、中には子供たちが暮らしているのです。 コメント欄もクローズさせていただいておきます。どこでもHate Postが多いようなので、、もしご意見がありましたらメールフォームよりお願いいたします。

 

ー小さく追記。彼の最後の手紙がアップされました。(自分は直接連絡を取っていたわけではないので)感謝の言葉、自分は無実であるということ、そして周囲に怒りをぶつけないでと、最後に自分の名前と生没日を自分でーもうどうにもやりきれないですー

Please rest in Peace..Michael.

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